2024年3月3日日曜日

2024年3月3日(日)受難節第3主日礼拝式

 「受難の予告」

ヨハネによる福音書6章60〜71節

 「ひどい話」と書かれているのは、イエス様が「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む」(6章56節)、「わたしを食べる」(57節)と言われたので、グロいしきしょいとなったのでしょうか。
 でも、グロい、きしょいは、キリスト教にとって大切だと思うんです。教会の礼拝堂には十字架が掲げられています。教会の屋根の上にも掲げられています。ネックレスに付けて首からぶら下げたりもします。幾何学的でおしゃれなようですが、十字架はそもそも人を釘で打ち付けて時間を掛けてじわじわと苦しめて殺す道具です。もしイエス様がギロチンで殺されていればギロチン台が教会の屋根に掲げられていたかもしれません。絞首刑で殺されていれば首吊りのロープをネックレス代わりに首からぶら下げることになっていたかもしれません。
 勝ち馬に乗る、という言葉あります。勝つ側に身をおいて得をしようとすることです。寄らば大樹の陰、という言葉は、頼りにするなら勢力がある側を選ぶということです。負け側についたり勢力がない側を頼りにするのは愚かなことです。だから実際の社会でも弱い人は弱いまま助けられず、勢力がないなら誰かに頼られる存在にはなれないと言われるのです。
 イエス様は十字架へと向かわれます。
 私たちはイエス様に頼りすがります。

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