「香油を注がれた主」
香油を売って貧しい人のために使うことと、イエス様にその香油を塗ることのどちらを選ぶのか。そもそもこのような問にしてしまうことが問題なのかもしれません。
この物語はイエス様に香油を塗ることが推奨されているように読めます。でも、現に今貧しさにあえいでいる人の立場を想像するとそんなに簡単に答えを出すことはできません。貧しさにあえいでいない人が、ユダさんが間違っていると言うのもなにか違う気がするんです。
同じ様に、この感じだとそろそろ殺されかねないなと感じているイエス様、そしてこのことから逃げるわけにはいかないと思われているイエス様の気持ちも思うと、マリアさんが香油を塗ったことを責めるのも違う気がします。
施したければやればいいし、葬りの準備をするならすればいいのでは、香油は一つしかなかったかもしれませんが、先に売っぱらって現金化したとして、マリアさんが葬りのための香油を何してくれとんねんとユダさんの胸ぐらをつかんで凄んでいたとしたら、イエス様はマリアさんに「この人のするままにさせておきなさい。わたしの喜ぶことをしようとしたのだから。 施しのために香油は役に立つが、わたしの葬りのためならこの香油じゃなければならないことはない」と言われたのかもと想像したりします。
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